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Asahi Shimbun Digital – News Japan

女子学生にセクハラ、停職5カ月に 60代男性教授「記憶にない」

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2022年7月6日 10時17分 神戸大は5日、20代の女子学生にセクハラ行為をしたとして、60代の男性教授を停職5カ月の懲戒処分にしたと発表した。処分は4日付。教授は同日、依願退職した。 神戸大総務部によると、昨年5~6月、ゼミ生だった学生に複数回のセクハラ行為をした。教授は大学側の聞き取りに「記憶にない」と話したという。学生が昨年6月、大学側に相談して判明。現在は精神的ショックで休学中という。 神戸大では5月下旬にも、女子学生にセクハラ行為をした50代の男性教授を諭旨解雇処分としている。

<ZDNet Japan>シスコ、「セキュリティクラウド戦略」を発表–企業のセキュリティ対策を包括支援

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 シスコシステムズは7月5日、あらゆる形態と規模の組織を安全に接続する、グローバルでクラウド接続された統合基盤「シスコ セキュリティ クラウド」の計画を発表した。

 執行役員 セキュリティ事業統括の石原洋平氏はまず、同社の全体像として「幅広く変化に即応できるプラットフォームを提供する会社」だとした上で、「今やこれら事業の全てにおいてセキュリティが必ず組み込まれた状態」であり、「シスコの中でも最も重要な中核事業に位置付けられている」とした。

 続いて、日本におけるセキュリティ事業戦略として、「セキュアコネクティビティー」「継続的に信頼されたアクセス」「脅威検知と迅速な対応」の3点を挙げる。特にネットワークやクラウドに安全に接続するSecure Access Service Edge(SASE)を業界で最も実績のあるソリューションとして強化していく他、ゼロトラストベースの信頼性検証をログイン後まで拡張するContinuous Trusted Access(CTA)という取り組みや、今どこにどんな脅威があるのかをいち早く検知して迅速に対応するためのExtended Detection and Response(XDR)基盤として「SecureX」の無償提供を展開していく。

シスコのセキュリティ事業戦略
シスコのセキュリティ事業戦略

 また、「Cisco Secure」のソリューションラインアップは継続的に拡充しているといい、直近では「Secure Cloud Insights」(Cloud Security Posture Management:CSPM/Cyber Asset Attack Surface Management:CAASM、サイバーアセット攻撃対象領域管理)や、「Kenna Security」(2021年に買収したリスクベースの脆弱性管理基盤)が加わっている。セキュリティ監視センター(SOC)についても、シスコ自身がサービスを提供可能になっており、引き合いも増えている。

 石原氏は、同社が運用する脅威インテリジェンス「Cisco Talos」は「民間のセキュリティ研究機関として世界最大規模」とする。「世界のインターネットトラフィックの80%以上がシスコのインフラを経由している」と言われることから、同社は膨大なテレメトリーデータを収集可能になっており、これを昨今420人まで増員されたアナリストが分析エンジンを用いて脅威解析データを日々生み出している。

 「これらをセキュリティ製品/サービスにいち早く展開することで、企業が常に最新のセキュリティエンジンを利用できる点も、他社に対する優位性や評価ポイントになっている」(同氏)

 国内のセキュリティ事業について、石原氏は「クラウドセキュリティの事業成長が著しい」とし、「Cisco Umbrella」と「Cisco Secure Access by Duo」の事業規模は2020年度比で約4倍の成長を遂げていると強調した。中堅中小企業向けに提供する支援策では、「シスコサイバーセキュリティ対策支援センター」の取り組みが紹介された。同センターはパートナー企業との連携で多くのユーザー企業からの相談に応えるもので、「対策ガイドの提供」や「セキュリティ観点での通信ヘルスチェック」「期間限定での無償ライセンスの提供」などを行っている。

 具体的な支援例として、Cisco UmbrellaのDNSセキュリティ機能を活用した通信ヘルスチェックがある。これは、ユーザーが使用中のDNSサーバーアドレスをCisco Umbrellaに切り替えることで、ランサムウェアやフィッシング、攻撃サーバーへの通信、Emotetによる通信などを検知、ブロックし、可視化できるという。社内のネットワーク設定などを大きく変更したり、クライアントモジュールを配布したりする必要がなく容易に実行できることから、“はじめの一歩”として好評だとした。

 こうした状況を踏まえ、同氏は今後の方針として、回復力や変化への対応力を意味する「レジリエンス」(Resilience)がサイバーセキュリティに対しても必要だとし、そのためにあるのが「セキュリティクラウド構想」だと話す。同社は今後、セキュリティやネットワークなどのサービスをセキュリティクラウド構想に基づいて開発、リリースしていくという。

 セキュリティ事業 シニアSEマネージャーの中村光宏氏が、セキュリティクラウド構想の概要を説明した。同氏はまず、「Cisco Security Cloud」を「あらゆる形態と規模の組織を安全に接続する、グローバルにクラウドで提供されたセキュリティとネットワーキングの統合基盤」だとし、その基本概念として「クラウドネイティブ」「マルチクラウド」「ユニファイド」「シンプル」「人工知能/機械学習(AI/ML)ドリブン」「オープンで拡張性が高い」といった要素が含まれるとした。複製可能なマイクロサービスアーキテクチャーとして実装される予定で、サービスプラットフォームをグローバルのさまざまな場所に展開することで、ユーザーは「摩擦のない体験」(Frictionless Experience)が可能になるという。

シスコ セキュリティ クラウド構想
シスコ セキュリティ クラウド構想

 運用管理面では「Unified Policy Engine」を軸に、ユーザーが「やりたいこと」を定義すれば、それに応じて関連する機器やサービスの全てに適切な設定を自動的に適用するなど、同社が従来「Intent-Based Network」などの言葉で表現していた高度な運用管理の自動化機能を集大成したような構成となっている。

 一方、Cisco Security Cloudという名称の新製品が開発されたというわけではなく、実体としては既存の製品/サービス群を統合、パッケージ化して提供していくという取り組みであり、セキュリティクラウド構想の中で具体的な機能を担うのは、同社がこれまでCisco Secureとして提供しているものが主体となる。

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「カッパのミイラ」公民館の金庫から現れた 謎の祭りを追いかけて

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 スマートフォンのツイッター検索に出てきた言葉に手が止まった。 「佐野子(さのこ)かっぱ祭り」。おはやしに合わせて、風変わりな振り付けを踊る人々の動画もある。 さらに、投稿につけられたハッシュタグに目が釘付けになった。「#土浦」「#カッパのミイラの手」 気になって茨城県土浦市役所に電話すると、広報担当者はこう答えた。 「確かに佐野子という地区に祭りがあります」 「先日の祭りには、市長も出席しています」 祭りを取り仕切っている住民への取材を仲介してもらうことにした。 数日後、取材の場所に指定された「佐野子公民館」を訪れた。何の変哲もない公民館だ。待っていたのは、祭りの実行委員会の阿部守男さん(80)ら4人の住民。6月4日にあったという祭りについて聞いた。 例年6月の第1土曜にある祭りは、今年3年ぶりに開かれた。住民によるおはやしのほか、野菜や果物の即売会もある。地域住民を中心に、500人近くが訪れたという。 この地とカッパにどんな関係があるのか。4人の話を総合すると、室町時代から伝わる次のような民話に理由があるようだ。 当時、近くでは川に流される人が相次いでいた。あるとき、あたりで一番の力持ちの「宇八(うはち)どん」が川で馬の体を洗っていると、馬が落ち着かない。 よく見ると、カッパが尻尾を引っ張っている。捕らえて連れ帰り、殺してしまおうとしたところ、近くの寺の妙沢(みょうたく)和尚が「悪さができないように腕を引っこ抜くので、殺生はやめて逃がしてやろう」とその場をおさめた――。 なるほど。少し残虐ではあるが、地域に伝わる民話としてはありそうな話だ。私は、おそるおそる尋ねた。「ミイラの手というのは、そのカッパの……」 阿部さんはおもむろに立ち上…

「取材だから特別」記者は「カッパのミイラ」を見た 由来は室町時代

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久保田一道2022年7月6日 10時00分 ツイッターを検索していた記者は、「佐野子(さのこ)かっぱ祭り」という催しに関する投稿に目を奪われた。 投稿には、こんなハッシュタグがついていた。「#カッパのミイラの手」 調べると、茨城県土浦市佐野子で6月に開かれている祭りだった。地元住民による実行委員会に連絡を取り、取材場所として指定された公民館へ向かった。 住民から語られたのは、室町時代から伝わるという次のような民話だった。 近くの川で、カッパが悪さをして流される人が相次いだ。そのカッパをつかまえた男が、殺そうとした。カッパの手を引っこ抜くことを条件に、寺の和尚が命を助けてやった――。 「ミイラの手というのは、そのカッパの……」 おそるおそる質問を切り出した記者の前で、実行委員会の阿部守男さん(80)は古びた桐(きり)の箱を開けた。 「普段は出しません。きょうは取材だから特別に」 その手の長さは10センチほど。乾燥しているが、関節もはっきりとわかる。専門家に鑑定してもらい、人間以外の霊長類のものという見解を得たという。 この民話には続きがある。命を助けてもらったカッパは、和尚にこう告げた。「日照りのとき、この手を外に出して」 地元では「雨が降るからミイラを外に出すな」と言い伝えられてきたが、イベントに貸し出してほしいという声がかかることもしばしば。数年前、青森県八戸市を訪れた際は、滞在中の大半が大雨だったそうだ。(久保田一道)

絶滅のはずの昆虫が琵琶湖に 教授が「真っ先に自慢したかった」相手

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 国内ではすでに絶滅したとされていた水生昆虫が、琵琶湖沿岸で生き残っていたことが京都大学の加藤眞教授と曽田貞滋教授の調査で分かった。生息が確認されるのは60年ぶり。2人は学部時代からの同期で、共著で朗報を発表できたことを喜んでいる。 見つかったのは、キイロネクイハムシという体長4ミリほどの小さな甲虫の仲間。卵から成虫になるまでの一生を水中で過ごし、同じように水中で育つ沈水植物をエサにする。水中の酸素を取り入れて呼吸するので、生息には酸素をたっぷり含んだ透明度の高い水質が必要だ。 だが、水中の生き物で調査が難しかったことや、生息に適した水草の残る低湿地などの環境が失われていったことで、生息情報も減少。国内では1962年に福岡市で発見されたのが最後の記録となり、2007年に環境省のレッドリストで「絶滅」に分類された。 半世紀を超えた再発見の瞬間は、偶然訪れた。 加藤教授が別の研究のために…

<CNET Japan>次期「Apple Watch」、発熱を検知する機能を搭載か

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 Appleは次期スマートウォッチ「Apple Watch Series 8」を、秋に「iPhone 14」と「AirPods Pro 2」とともに発表すると予想されている。憶測によると、これに体温センサーが搭載される可能性がある。

Apple Watch Series 7提供:Lisa Eadicicco/CNET

 2021年9月に「iPhone 13」シリーズとともに発表された「Apple Watch Series 7」は、画面が大きくなり、充電が高速になり、耐久性が向上したこと以外に、大きな変化はあまりなかった。Series 8も同様かもしれない。BloombergはSeries 8のハードウェアについて、体温センサーが追加されること以外はSeries 7と大きく変わらない見込みだと報じている。

 これまで、体温検知機能によってSeries 8を妊娠計画にも利用できる可能性があるとの報道もあった。今回のBloombergの記事によると、Series 8の体温検知機能は、標準的な体温計のように具体的な体温の数値を表示するわけではなく、熱がある可能性があることをユーザーに通知し、体温計を使うか、受診することを勧めるものになる可能性が高いという。

Apple Watch Series 7提供:Apple

この記事は海外Red Ventures発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。

YouTuberから得たミステリーの着想 結城真一郎さん新刊

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 YouTube、マッチングアプリ、リモート飲み会。結城真一郎さん(31)の新刊『#真相をお話しします』(新潮社)は、ここ数年で身近になった道具をミステリーに持ち込んだ短編集だ。「最新のツールによって、人間の欲望が今までにない形で発露している。現代だから通じる動機を書こうと思いました」と結城さんは話す。「迷惑系YouTuber」から生まれた物語 2018年に『名もなき星の哀歌』で新潮ミステリー大賞を受賞し、翌年同作でデビュー。以来、順調に作品を送り出してきた。 昨年、日本推理作家協会賞短編部門を受賞した「#拡散希望」も本作に収録している。高齢者が多く、子供は4人しかいない島が舞台。そのうちの一人である少年が主人公だ。小学3年生の夏休みに、友人の少女から「一緒にYouTuberにならない?」と持ちかけられる。しかし少年の母親は、その子と「仲良くするのは、考え直した方が良い」とまで言う猛反対ぶりだった。同じ日に、島を訪れたYouTuberの男性が刺殺された。この日を境に島の人たちは子供たちによそよそしくなる。さらに、YouTuberになろうと誘ってきた少女が断崖絶壁から転落死した。 再生回数を稼ぐために犯罪行…

<CNET Japan>村上臣氏が会社選びの軸にする「3つのテーマ」–ヤフーやリンクトインで得た気づきとは

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 大学在学中にITベンチャーの電脳隊に参画し、その後ヤフー、ソフトバンクでフィーチャーフォンからスマートフォンへの移行期にモバイル戦略などを担当した村上臣氏。ワイモバイルの立ち上げに携わった後、2017年にビジネスプラットフォームのLinkedIn日本代表に就任し、さらに2022年、同氏はそのLinkedInを後にし新たなチャレンジを始めている。

村上臣氏

 そうした本業の傍ら、働く女性を支援するポピンズの社外取締役や、企業の新規事業創出をサポートするフィラメントのアドバイザーを勤め、さらに2022年6月末にはフリーランスと企業を結びつけるランサーズの社外取締役にも就任した。

 これまで数々のキャリアを重ねてきたなかで、同氏は「企業」や「働くこと」についてどのように考えてきたのだろうか。その話からは、1人1人が仕事や人生にどう向き合っていくべきかだけでなく、企業のこれからのあるべき姿も浮かび上がってきた。

 前編では、村上氏にこれまでのキャリアを振り返ってもらうとともに、同氏にとってのターニングポイントや企業選びの際に軸にしていることなどを聞いた。

「モバイル開発」とともに歩んできたキャリア

——まずは、ご自身のこれまでのキャリアを振り返っていただけますでしょうか。

 学生時代からお話すると、電脳隊というベンチャー企業を今のZホールディングス代表取締役社長の川邊健太郎らと立ち上げたのが最初です。日本では早い段階からモバイルにフォーカスした会社だったと思っています。僕はエンジニアとしてずっと物作りをしていて、プログラムコードを書きまくっていました。その後、一度電脳隊を出て、パイロットになりたかったので航空会社の自社養成枠を受けたものの不合格になり、縁があった野村総合研究所に新卒で入社しました。

電脳隊時代

 ですが、10カ月ほどでドロップアウトして、電脳隊が他社とともに立ち上げたジョイントベンチャーのピー・アイ・エムという会社に入りました。そこで3キャリア対応の元祖グループウェアのようなものを作っていたところ、ヤフーに買収されたのが2000年8月。それからはトータルで17年余り、途中で出たり入ったりもしましたが、ほぼ一貫してモバイルに関わり、モバイル版のYahoo! JAPANを作ったり、iPhone誕生後はスマートフォンのアプリを開発したりしました。

 ソフトバンクではスターティングメンバーの1人としてワイモバイルの立ち上げにも携わりましたが、ある程度モバイルシフトをし終えたのを見届けて、リンクトイン・ジャパンの代表になったという感じです。ヤフーやソフトバンクグループにいた時間がやはり長かったですね(笑)。ヤフーに買収されたときは23〜24歳でしたから、自分のベースはそこでできたように思います。

——そこからリンクトイン・ジャパンに移ったのはどういった理由ですか。

 僕は国内で生まれ育ちました。留学もしたこともないし、海外で働いたこともないので、海外経験はゼロだったんです。ただ、僕が関わってきたインターネット周りのビジネスというのはシリコンバレーの影響を強く受けていますので、グローバルなプロダクトというものがどうやってできるのかを見てみたい、関わってみたいという長年の思いがありました。そこにLinkedInとのご縁があって、日本語版のプロダクトヘッド 兼 カントリーマネージャーとしてオファーをもらえた、というのが理由です。

 最初の2年半ほどは本社の中にプロダクトチームを持って、日本と英語圏以外のLinkedInを良くするためにプロジェクトマネージャー的にリードし、LinkedInの中に編集部を作ったり、プロダクト改善を進めていったりしました。それに目処がついてから、ちょうどコロナ禍に入り始めた頃にカントリーマネージャーとしての仕事がさらに増え、営業的に動いたり、リクルーティングで日本のオフィスを大きくしたりする活動を2年弱担当しました。そして2022年、退職して今に至ります。

ワイモバイルの立ち上げにも携わった

——17年もの間、ヤフーやソフトバンクグループにいたわけですが、どのようなところが魅力でしたか。

 たとえばヤフーは、当時PCから利用しているユーザー規模がすごく大きかった。もし、みんながスマートフォンを持つようになったら、その全員がヤフーを使うかもしれないわけで、そういうスケール感ですよね。

 電車の中で目の前にいる人が自分たちが作ったサービスを使っていたりする。そういうのを目にすることができ、しかも自分がそこに少しでも関わって貢献できていると実感できるのは、非常に嬉しいというか、とてもやりがいがあったんですよね。

オンラインの「選択肢」が増えたことは日本にとって重要なこと

——キャリアを重ねていく中でいろいろな出来事もありました。東日本大震災が発生したり、新型コロナウイルスが蔓延したり。振り返ってみて、ご自身のキャリアにとってここがターニングポイントだったな、と思うところはあるのでしょうか。

 ヤフーにいたときに発生した東日本大震災は、日本にとっても、自分にとっても非常に大きな出来事でした。実は震災が発生した直後、2011年3月末に一度ヤフーを退職する予定だったんです。引き継ぎもしているところでしたが、3月11日に地震が発生したので、退職するどころではなくなってしまいました。プラットフォームを運営する立場として、やらなければいけないことがたくさんある。われわれにしかできない情報発信もある。なので、人事のところに行って退職届を返してくれってお願いしました。

 結局は少し延期して4月末で退職したのですが、インターネットのテクノロジーが社会に対してバリューを出すという意味では、震災は日本としてもすごく転機になったと思います。ヤフーは電力節減のための情報を提供したり、さまざまなところからアナログデータを集めてデジタル化したりしましたし、LINEも震災を契機に生まれましたよね。社会的責任みたいなものをテックカンパニーが意識するようになったのも震災がきっかけだったと思います。多くの企業がテクノロジーを使って何か始めようとしていた。こういう意識の変化は、2011年、2012年はすごく大きかったと思います。

——それまでのインターネットは世の中にとってどのような存在だったと感じていますか。

 “インターネット・ラブ”みたいな人たちがすごくたくさんいて、PC、2ちゃんねる文化、mixi文化などいろいろなものを引きずっていて、PCとフィーチャーフォンを分断していたように記憶しています。PCは仕事で使うもの、生産的なものとして好まれていて、一方のフィーチャーフォンはエンタメに偏っていた。フィーチャーフォンはDeNAやグリーのソーシャルゲームもあり、初めて持った自分のためのインターネット、みたいな感じだったと思います。

 そんな断裂を震災を契機に変えたのがスマートフォンでした。PCとモバイルで同じサービスをどこでも使えることが当たり前になり、PCとモバイルの垣根が崩れたと思います。モバイルでもPCのようなアプリをインストールできるようになり、生産的なこともできるしエンターテイメントもできる。さらにはクラウドサービスができたことによって、ほぼスマートフォン1台であらゆることが済むようになっていきました。PCからモバイルへ比重がぐっと寄っていった、というのが大きな変化だったのかなと思います。

——その後の大きな転機としては新型コロナウイルスかと思います。リンクトイン・ジャパンにいた当時、ご自身の考え方に変化はありましたか。

Linkedin本社にて

 リンクトイン・ジャパンに入社してから2年半くらい経ち、だいぶ慣れてきた頃でしたね。コロナが来て、会社としてはかなり早い段階で100%テレワークに切り替えました。2020年2月末には事務所をほぼ閉めて、全員が在宅勤務。オフィス入り口の電子錠のアクセス権も削除して、どうしても出社したいときは申請と承認が必要という形にしました。

 ところが、そうなったら思いのほかスムーズに在宅勤務に移行できたんですよね。考えてみれば、上司はほとんど全員が米国かシンガポール在住ですし、コロナ前も丸の内にあるオフィスに行ったところで結局そこからテレワークをしているようなものだったんです。そういう環境が普通だったので、在宅勤務になっても違和感はありませんでした。オフィスから家になってもやることは変わらない。もちろん人との接触や会話が減る、というところでは困ったりもしましたが。

 そこで気付いたのが、他の外資系企業もだいたいそんな感じだったのに、なぜか日本企業が大騒ぎしていたこと。一言で表すなら「DXができていない」ということなんでしょうけれども、そのギャップが明確に見えたのが、まさにこのコロナ禍だったなと思います。

 最近になって少しずつ以前のような日常が戻りつつあります。ただ、みんな少なくとも一度はオンラインでビデオ会議を経験した、というのはすごく大きなことだと思うんです。そういう意味では、日常が戻りつつあるとも言えるし、選択肢が増えたとも言えるんですよね。他社と会議するようなときも、「今回は会います? それとも会わないでリモートでやります?」みたいな会話が繰り広げられていたりするじゃないですか。そういう考え方はコロナ以前の日本には全くなかったので、選択肢が増えたのは今後の日本や企業にとってはめちゃめちゃ重要なことだと思っています。

「生きててくれ」土砂をかき分けた同級生、4年後にたどり着いた場所

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 35度近い暑さが続くなか、SNSの呼びかけで集まった同級生ら100人以上が土砂をかき分けて友を捜した。「絶対に見つける」。1週間後、18歳の植木将太朗さんが自宅近くの土砂の中で見つかった。あれから4年――。 「ちょっと早めに来たわ」。6月中旬、仕事の合間を縫って訪れた小川綾太さん(21)はそっと花束を置いた。 2018年7月6日、西日本豪雨の濁流に家々がのまれた広島市安芸区の梅河(うめごう)団地。いまも植木さんの自宅跡には当時の車庫が残されている。陽気な笑みを浮かべる祭壇の写真は、亡くなる3カ月前に小川さんが撮ったものだ。 小学校からの同級生で、市立広島工業高校では同じテニス部だった。「誰にでもしゃべりかけるお調子者。よく一緒に怒られたんすよ」。でも、試合では誰よりも声をかけくれた。「あいつがおるときは心強かった」 あの日は期末テストの最終日だった。前日からの大雨で部活は中止に。「明日もオフになりそうじゃけえ、よかった」 冗談を言い合って別れたその夜、近くで土砂崩れが起き、家の手前まで流れ込んできた。 「うそじゃろ」あの夏、祈るような気持ちで土砂をかき分けた同級生たち。その中の1人は葛藤しながら高校野球の開会式で選手宣誓しました。「どんな状況も克服し、それを乗り越えて挑戦します。それが野球だから」。彼らはいま――手にしたシャベル「どうにか見つけるから」 あいつが見つかっていない―…

参院選の候補者たちに聞いた「参院の存在意義は何ですか」

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 参院は衆院の「カーボンコピー」と揶揄(やゆ)され、衆参で多数が異なる「ねじれ」国会では法案審議が進まなくなると「強すぎる参院」と批判を受けてきた。「良識の府」から「不要論」まで飛び出す。20年目を迎えた朝日新聞社と東京大学谷口将紀研究室の共同調査で参院選候補者に初めて尋ねた。「参院の存在意義は何であると考えますか」 自由記述で回答してもらうと、衆院との役割分担を意識する声が多かった。「衆院に対する補完、均衡、抑制など国会の各審議を慎重に行い、時に再考するため」「衆院で審議された法案について、更に慎重に審議し多様な視点から足らざるを補い、その後の経過を長期的にチェックする」といった具合だ。 参院の役割を衆院の抑制や均…

退部した球児、かつての仲間が救った 照れくさくても伝えた一言

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 夕食が終わって午後8時過ぎになると、寮のみんなはゆったりと過ごす。練習がしんどい分、部屋にこもって家族に連絡したり、スマホのゲームをしたり。思い思いのこの時間が、いい。 6月中旬の夜。大崎中央の中野龍(3年)がチームメートの部屋でその日の練習試合を振り返っていたら、他のメンバーも集まってきた。 気になっていたうわさをふと思い出し、ベッドに座る加藤裕太(3年)に聞いてみた。この前の休み時間、女子と一緒にいたんだって? 「え?」 目が泳いでいる。加藤は明らかに動揺した。みんなの追及が始まる。「マジ?」「何やってたんだよー」 言われっぱなしの加藤がやり返してきた。「うるさい! お前の彼女の名前叫ぶぞ!」 ちくしょう。それは困る。周囲はゲラゲラ笑ってる。なんかちょっとむかつくけど、やっぱ楽しいわ。 2年の春に大崎中央に転校した。その前にいた日大山形(山形市)には全然なじめなかった。転校を考えている時に誘ってくれたのが、中学時代のボーイズのチームメート、加藤だった。 ボーイズでは打者として活躍していたから、甲子園常連校から誘いが来たときは心底喜んだ。雨でもノックができる広い室内練習場があって、甲子園を目指せると本気で思った。 だが、入学した4月、下宿に引っ越した初日にコロナが邪魔をした。 荷物をといて部屋でくつろいでる時に、先輩が呼びに来た。食堂に集まると、先生が「感染者が出た。県外から来た人はすぐに実家に帰って」と言ってきた。翌日、荷物をまとめて名取市の実家に戻った。 同期約25人のほとんどは地元出身でそのまま寮生活を続けていたから、5月に戻った時は、不安で仕方なかった。もともとすごい人見知りで、取り残されてるんじゃないかって。 不安は的中した。全体練習の後、自主練習で他の部員が自然とつくるグループに入れない。食事の時も憂鬱(ゆううつ)だった。山形の方言が聞き慣れず、ただ横で耳をそばだてるだけ。 プレーでは守備を監督に褒められたし、そこそこやれていたと思う。でも、つまらなかった。あんなに野球が好きだったのに、グラウンドに向かう足が、日に日に重くなった。 両親と相談して6月末に退部した。スポーツ推薦で入ってたから気まずくて、学校も8月まで休んだ。 その頃から、ボーイズの練習に参加するようになった。監督から他のチームメートの近況を聞くたび、自分は何をしているんだろうと思うようになった。 転校の相談をして親が探してくれたのが、加藤のいる大崎中央だった。 加藤は小学からの同級生で、自分の後にボーイズに入ってきた。捕球の仕方なんかを教えるうちに、仲良くなった。 その年末、久しぶりに加藤と遊ぶ約束をした。筋トレの成果か、一回り大きくなっていた。大崎中央に転校しようか考えていると伝えると、加藤は「絶対来いよ」と笑った。その後もちょくちょくやりとりをした。 年が明けた2月、大崎中央の練習を見に石巻市民球場に行った。その時、加藤に寮生活のことを聞いた。 「みんな元気でいい人だから、中野が来てもなじめるよ」 そうか。 「……待ってるから、来いよ」 お互い緊張してぎこちなかったし、5分だけの会話だったけど、決めた。自分を待ってくれているのがうれしかった。 春の空には雲一つなかった。荷物を背負って大崎中央の寮に向かうと、玄関の外で加藤が待っていた。きまり悪そうに「これからよろしくな」って。 入寮して数カ月は加藤と同室で、チームメートの輪に入れるよう気を使ってくれた。 3年になった加藤は、最速140キロ前後を投げるプロ注目のエースになった。自分は打率の高い1番打者だ。 4月の練習試合で逆転サヨナラ勝ちを決めると、思わずベンチから飛び出し、抱き合って喜んだ。 仲の良い仲間ともぎとった勝利こそ、最高だ。野球を楽しむのに名門かどうかなんて関係なかった。こいつらと一緒だったら、どんなにきつい練習だってやりきれる。(敬称略)(武井風花)